浅間山周辺の紹介
ただ今写真を整理中ですが、当店の島中雅人が
府中市を紹介したサイト、アズネットに取り上げられました
↑こちらにも浅間山の写真を沢山紹介しています。
三井グラウンド(島中雅人)
現在は明治大学野球部のグラウンドになっていますが、もともとは三井物産の社有地でありグラウンドとプールが整備されていました。
暴露話をすると小学校3年生の時、父にプールに投げ込まれて初めて溺れそうになりながら泳げるようになりました。
以降、今度は泳ぐのが大好きになり、小学5年で黒帽に白線2本までいきました。
そんな子供達が泳ぐ場所は、二枚橋焼却場のプールと市営プールがメインでしたが、この三井グラウンドのプールは穴場でした。
料金が高いというのもありましたが、空いている、そしてときどき綺麗なお姉さんが綺麗な水着で泳いでいるのでした。(おそらく会社関係でしょう)
そしてもう一つの楽しみはクラブハウスの中にあったカナダドライの自動販売機!
そこで初めて飲んだジンジャエールの味は忘れられません。
お小遣いでプール代+ジュース代を貰い、泳いだ後に飲むジンジャエールは少し大人になった味がしたものでした。
新小金井街道の工事(島中雅人)
新小金井街道は昭和47年に完成し、48年から供用されました。
その前はというと、慈恵院(犬猫霊園)からシマクリの脇に通じる道が街道でした。
それまでは街道といえば小金井街道の事で、幼少の頃は小金井街道を走るバスがここからも見えたものでした。
日本の高度経済成長に併せて浅間町一帯も住宅開発が行われ、都市計画道路である新小金井街道も整備されていきました。
新小金井街道が下水管埋設など本格工事に入る前には各所が空き地になっていてその頃の少年少女の遊び場となっていました。
三角ベース、缶蹴り鬼、そして浅間山での虫取り。
街道が整備されモータリゼーションの恩恵にどっぷりと浸りながらも、どこかセピア色のあの頃が懐かしく感じられます。
浅間山の思い出(島中雅人)
浅間山はこどもの頃からの遊び場です
虫取りやかくれんぼなど、朝から日が暮れるまで走り回っていました
- 昔は蛙がたくさん
- 今のキスゲ橋の「カーブスピードに」の看板の下は湧き水が出ていて、その下の池にはおたまじゃくしやゲンゴロウ、タガメなどがいました。雨上がりには沢山の小さなアマガエルが葉っぱについていました
- 昔は砂利道
- 浅間山通りは狭い砂利道でした。上から自転車で豪快にダウンヒルをして、下から上がってくる自動車に突っ込みそうになることもしょっちゅうでした。今ではバイクが趣味ですが、バランス感覚はあの頃養われたのかも・・・・
- キチロウはいたのか
- 浅間山で遊ぶ子供たちに、まことしやかに言い伝えられていた「キチロウ」伝説。しかし、本当にキチロウを見た者はいたのだろうか?今でも謎
- 高射砲台跡
- 明治グランド(旧、三井グランド)の見える一角に、何故か凹んでいて、木柵がしてある場所がある。子供の頃は気がつかなかったが、ここが高射砲台の跡だそうだ。新小金井街道に面した側には、防空壕のような穴も沢山あいていて、各グループの縄張り争いがあったもの(^^)